何でもありのままを受け入れるのは正しいことなのか?

ありのまま受け入れるものと受け入れないもの

聖典では様々な規律を自己成長に為に挙げています。
その言葉だけを受け取って実行することは、
時には間違った方向に向かってしまいます。
「心を広くして何でも、ありのまま受け入れる、今の状況に満足する」という表現は、
一見聞こえはいいかもしれませんが、
本当にそうでしょうか?
受け入れることの1つとして、
「行いの結果」があります。
なぜかと言うと行いの結果は選べないからです。
行いをするか、しないか、
どのようにするのかにおいて私達は選ぶことが出来ます。
それが唯一人間に与えられた他の動物と違う点です。
それが自由意志です。
私達は自由意志を使い、
全ての行いを選んで行っているのです。
しかし、その結果は残念ながら選ぶことが出来ません。
つまり、どんなに頑張っても望み通りに
ならないこともあれば、大して努力しなくても願いが叶うことがあります。
これはカルマの法則で説明されます。
「この仕事は好きな仕事ではないから頑張れない」
「いつも時間に遅れてしまう」などの自分がいます。
それを、ありのまま受け入れて良いのでしょうか?
頑張らない自分、時間にルーズな自分を優しく受け入れなければ、
自己否定してしまうと思うかもしれませんが、
これらは優しく受け入れるものではありません。
かといって「自分はダメな人間だ」と自己否定することでもありません。

正しく使う為に与えられた自由意志

まず「私は仕事に対して真摯に向き合えていない」
「時間にルーズな点がある」という認識をして、
出来る限りの手を打たなくてはなりません。
そこに対しての努力があるのか、無いのかは大きな違いです。なぜか、
それは行いに対しては自由意志によって選ぶことが出来るからです。

カルマヨーガは単に、無私無欲でやれば良い訳ではない

ヨーガとは生き方のことで、全ての行いは祈りとして行います。
神社にお願い事をしに行く時に適当な姿勢でお願いをすることはありません。
その姿勢が全ての行いにおいて必要なのです。
やるべきことに適切な(祈る時と同じ)姿勢で行うことがヨーガという生き方なのです。
好きなことは頑張れるけど、
嫌いなことは頑張れないということを選んでいるのは自分です。
好きなことでも、嫌いなことでも、
誠実に、正直に、今この場で求められていることを行うことが、
行いに対してカルマヨーガで言っていることです。
カルマヨーガとは行いに対する姿勢と、
行いの結果の受け入れる姿勢を言っています。
頑張れない自分や、時間にルーズな自分を受け入れることは、
自己成長を止めています。
与えられた脳でどうすれば良いのか?と、
考えることを止めているのです。
もちろん、色々試してそれでも結果が伴わない場合もあるでしょう。
なぜなら、結果は手の中に無いからです。
けれども、努力もせずに「ありのままを優しく受け入れる」は違います。

生まれ持った性質がある

私達には生まれながらに備わっている性質があります。
その性質は人それぞれなので、
朝起きるのが苦手な人も、そうでない人も、
だらしない人も、整理整頓が得意な人がいます。
けれども、その性質を自己成長の為に
好ましい方向に高めていくことがヨーガです。
それを教えているのが聖典です。
聖典はやりなさいと言うのではなく、
自己成長の為に自分を高めていくとこうなるし、
しなければこうなるよ、と言っているのです。
そして自分を客観的に冷静にみていくことが出来るようになるのです。
そうすることで人生を楽にします。
多くのストレスやコンプレックスから自由になるのです。

客観的に物事を見ることが出来ない、
主観的な物の見方からは多くの問題が起こります。
「そんなの気にしない」という人に対して
「しなさい!」と言うわけではありません。
気にしないと思う人は今のままでいいのです。
ただし、ヨーガをやっているから、
ありのままの自分を受け入れると言うのは違います。
ヨーガをやっているのであれば、
日々、一瞬一瞬、自分を高めるようなことを選択するのです。
朝起きて、シャワーを浴びて、食事をして、会社に行って、その全てがヨーガから離れていません。
全てがヨーガなのです。

バガヴァッドギーターの中では、
どのような行い、思考が自己成長をもたらし、
どのような行いがそうでないのかを教えています。
まず、どのような形であってもヨーガというものを知り、
足を踏み入れたことは幸運なことです。
しかし、この幸運を自己解釈で「○○することはヨーガっぽい」で終わらせてしまうのはもったいないです。

何をしていてもヨーガになる

私が一緒に学んでいる、
インド人のヨーガの先生は
ヨーガの先生は、生徒の横に座って寄り添うこと」と言います。
常に横に座ると言うことを意味しているのではなく、
その人に合った適切なアドバイスをするという意味です。
この先生は、アーサナの先生でもあり、
ヴェーダーンタも深く学んでいる先生です。
その人の得意分野、ふさわしい仕事、
どのように精神的成長を助けることが出来るのかという点に寄り添っていくことです。
アーサナのトレーニングを積んだからと言って、
アーサナを教える先生になることだけが
目的ではありませんし、
その人に見合ったフィールドは全く別のことかもしれません。
しかし、どのようなことをしていても、
聖典の教える規律や姿勢でいることで全てがヨーガになるのです。
もちろん本人が「変わりたい」と思っていることが大前提です。
アドバイスをするにしても望まれていないアドバイス程、
無意味なものはありません。
本人が変わりたいと思わなければ、神さえも変えることは出来ない」とスワミジはよくお話されます。
人間として自由意志を持って生まれたことは、
とても貴重な生まれです。
その貴重な機会をどのように生きていくのかは、
自由意志で各自それぞれが決定していることなのです。


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1-18章までの全章を、
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6章、7章、8章、9章、10章、11章を含めた【セクション3】がスタート致します。
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山本友子 -Tomoko Yamamoto-

【Yoga space side-A 哲学担当】
1年の半分はスワミジと共に生活し、インドにて指導者養成講座やリトリートの企画、オンラインクラスを開催中。
スワミジの真っ直ぐで伝統あるヴェーダーンタの「学び」をシェアしながら、心身の健康、幸せを教えるインドの伝統の教えが、日本にも浸透することを願っている。

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